Lamborghini Miuraは1966年に登場し、「スーパーカー」という概念を初めて量産車に持ち込んだ歴史的名車です。マルチェロ・ガンディーニが22歳の時に設計したボディは、流麗で攻撃的、そして未来的。横置きミッドシップV12エンジンという大胆なレイアウトは、現代のすべてのスーパーカーの原型となりました。
ミウラの誕生は若者3人のアイデアから始まった。Lamborghiniのエンジニア、ジャンパオロ・ダラーラ、マウロ・パレンテ、ボブ・ウォレスが密かに横置きミッドシップシャシーを設計し、上司(フェルッチオ)に内緒でジュネーブショーに持ち込んだ。
1966年ジュネーブモーターショーでシャシーのみを展示したところ、会場は騒然となり注文が殺到。急骤に、ベルトーネ(マルチェロ・ガンディーニ担当)にボディを依頼した。ガンディーニはわずか数ヶ月でミウラのボディを完成させた。
完成したミウラは世界中に衝撃を与えた。フロントが極めて低く、横置きV12が生み出す超低重心は、当時のどんな量産車とも異なる走りを実現した。映画「イタリアン・ジョブ」の冒頭で使われたのもミウラだった。
製造精度の粗さから各個体によって特性が異なるという逸話も多い。しかしその荒々しさこそがミウラの魅力であり、ドライバーとの対話を要求するクルマとして評価されている。
Miuraはレースカーではなかったが、ジョモ・カッパが改造した仕様でル・マン予選に参加。市販車がル・マンに挑んだ伝説として語り継がれている。
P400、P400S、P400SVの3バリアントが存在。特にSVは最終型で最も高性能かつ希少。完全オリジナルのSVは5億円超での取引例がある。
スーパーカーカテゴリの伝説モデル
Historical Context
60年代の若者革命が最高潮を迎えた時代。ビートルズが解散(1970年)し、若者文化は新たな形を模索していた。経済成長とともに欧州の富裕層が「夢のクルマ」を求め始め、スーパーカーブームの原点がここにある。イタリアでは「経済の奇跡(Miracolo economico)」が続いていた。
フェラーリとランボルギーニの熾烈な覇権争いが自動車の歴史を塗り替えた時代。従来のフロントエンジン・グランツーリスモとは全く異なるミッドシップレイアウトは、「スーパーカー」という新カテゴリを生み出した。Miuraはその最初の具現化だった。
映画「イタリアン・ジョブ」(1969年)の冒頭シーン、アルプスの山道を疾走するMiura P400は映画史上最も美しい1分間とされる。スーパーカーポスターが子供部屋を飾る文化は、Miuraから始まったと言っても過言ではない。
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